【歴史】
パシフィックとは「太平洋」です。リムとは「縁」という意味です。太平洋を中心にして西の縁に日本があり、東の縁にオレゴンがあります。意訳すれば、この二つの地域が太平洋を越えて、アメリカンフットボールによって結ばれているという意味になります。
命名はアッシュランド高校の元ヘッドコーチ、ジム・ネーゲルさんです。
素晴らしい名前だとは思いませんか。この名称は日本アメリカンフットボール協会に登録されており、甲子園ボウルやプリンスボウル、クリスマスボウルなどと同様に歴史にその名前を残すゲームになりました。
この素晴らしい企画が始まったのは1986年のことです。
その発端は関西学院大学と南オレゴン州立大学(旧称)が交流を開始したおり、関西アメリカンフットボール協会(旧称)理事長である古川 明氏と関西高校連盟理事の崎 弘明先生がアッシュランド高校の練習を見学した際にネーゲル氏から日本遠征の打診を受け、当初、単独高校での交流という案を関西選抜案として、受け入れを決定したのです。
アッシュランド高校はその招待に応えて1988年に初来日し、大阪長居球技場で関西高校選抜チーム(大阪府・兵庫県)と試合を行いました。
その2年後の1990年に関西高校選抜チームがアメリカ本土に史上初の遠征を行い、当地の新聞にも大きなニュースとして報道されました。
以後およそ2年ごと開催地をアメリカ・日本交互に日米高校生による親善試合と国際交流が開催され、本年度で足かけ31年、16回目の交流、8回目の渡米の年となりました。
2001年からは選抜選手を関西地区全域から募集し、京都・滋賀・広島からの選手も選ばれ試合に参加しています。
回を重ねるにつれて、学校関係者のみならず、アシュランドの街じゅうの人たちがより一層熱烈な歓迎をしてくれるように感じています。同様に日本での開催時においても、かつての選抜選手のご家庭も継続してホームステイをしてくれるなど、変わらぬご支援・ご協力をいただいております。
アシュランドの生徒諸君は滞在中に、京都での座禅体験や広島の原爆資料館での見学などを通じて積極的に日本文化への理解を深めています。関西選抜チームも同様に本場アメリカでカレッジフットボールの試合観戦、観光や大学キャンパス散策など、アメリカ文化を存分に体験しています。選手相互でアメリカの文化を学び、日本の文化を伝え、ともに友人になることができます。ホームステイの重要性と意義がいかに大きいか、わかってもらえると思います。
現代は10年ひと昔ならぬ、5年で世の中が変わってしまうような本当に目まぐるしい時代です。そのような時代にあって31年もの長きにわたりこの企画が続き、今後もさらに続いていくのだろうと思うと本当に感動します。
その歴史を、今回選ばれた選手諸君がさらに大きく作るのです。
『スポーツ交流と文化交流』『国際親善』その二つの大きな狙いを達成するためにも今後ともパシフィック・リム・ボウルへのご理解をいただきご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げます。
【意義】
今回で31年、16回目の交流を迎えるパシフィック・リム・ボウル、今年は渡米し交流する年です。パシフィック・リム・ボウル2019、その重要な意義に『スポーツ交流と文化交流』『国際親善』があげられます。
ご承知の通りフットボールは激しいコンタクトを伴うスポーツです。勝利を誰もが目指し闘志なき者はフィールドに立つことさえ許されない「究極の格闘技」と言われています。
日米の高校生による「国際試合」その試合結果や今までの勝率が気になる方も多いことでしょう。試合だけを考えれば、短い滞在期間で経費を削減し相互に遠征すれば良いだけの行事になりますが、この交流には「その年々の試合の結果や勝率」ではなくそれ以上の目的があります。
2年に一度の交流は双方の国、地域の多くのボランティアによって支えられています。高校生に相互の文化を、より身近に感じてもらえるよう滞在時間をあえて増やし参加者全員の「ホームステイ」を実施しているのです。当然ながら多くの方々の惜しみない協力が日米相互にしっかりと整ってこそ成り立っている行事なのです。
アメリカの文化をアメリカの生活に溶け込むことで実体験し、日本の文化を日本の生活の溶け込むことで実体験できる。そしてお互いの文化の違いを伝え合い、相互理解することで友人となり絆を深めていく。
その経験を選手たちのこれからの人生に大いに生かして欲しい、それこそがこの行事の真の意義であり、その大きな目標が達成される行事であり続けてほしいと願っています。
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